2019年06月28日

西洋と東洋の瞑想で得られる「無」の違いについて。

以前、スピリチュアル関連でアメリカで育った日系二世の方とお話を伺った時のエピソードです。

「主に西洋の考えでは『無』と言う言葉を聞くと恐ろしいもので、怖くて寂しいといった寒い世界のことに感じてしまうのです」

この問いに、日本で育った後にハワイに住んでいる男性が答えました。

「アジアの人たちにとって『無』とは、とても心地いいもので何者にも縛られていない状態のことだと理解してくれますが、西洋で伝えるのは難しいのです」

私はこの価値観の違いを説明することが、最も東洋の神秘的な技術を伝えることに急務だと考えていました。


そうこうしている間に、アメリカのセレブやビジネスマンたちの間でヨガが流行りました。ムーブメントはあっという間に広まり、ヨガだけでなく瞑想も広まり、今ではグーグルでも取り入れているくらいです。

これに警笛を鳴らした日本人の認知学の博士がいます。彼はこう言いました。

「昨今、瞑想すると自意識過剰で我儘になるという定説が出てきているが、これはアジアに広まっている瞑想概念をしっかり理解してないからである」

私はこれを見たときに、ムーブメントを起こした英語圏の皆さんに東洋の神秘的な技術を取り入れる際の『基礎概念』を伝えたいと思っておりました。

今回は多くの西洋に住む人たちが住むアジアの『無』や『悟り』のイメージの違いについて書いていきます。まず、アジア圏と英語圏の瞑想の認識の違いについて説明しましょう。


「無の概念」

アジア圏
「光と闇がバランスよく混ざった状態」「ポジティブでもネガティブでもない感情」「無限に流れる気を魂の間に風のように通り抜けさせる」「正義も悪もない」「個性を主張しない」「受動的な状態」「自分以外の全てを許す状態」

英語圏
「光と繋がる状態」「ポジティブな状態」「無限に流れる気を自分の魂の間に水のように飲み込む」「正義」「個性を輝かせる」「自分を許して欲しいと願う状態」


この違いを元に次のエピソードを用いてさらに東洋の神秘の技術を深めましょう。

日本には黙祷という祈りがあります。大きな地震、津波、台風があった月日、終戦日には今でも黙祷の習慣が根付いています。

これは正義でも悪でもなく、生きている人たちも死んでいる人たちも、災害や争いの痛みの荒んだ怒り、激しい悲しみが少しでも穏やかに鎮まるようにと願うために、何も言わずに目を瞑って安らぎを祈る方法です。

その瞬間、正義も悪もなく、一瞬にして静寂が広がるのです。

祈りとは明確に祈ればいいというものだけではありません。時として神も必要ありません。敵味方区別もありません。

争いや災害で苦しみや悲しみを皆が等しく共存できる空間を一旦作ったという充足感をつくることも、祈りが作り出せる素晴らしい結果です。。

人々が全て、常に一緒に同じ考えや生き方をすることはできないですが、一時的な共感をする感覚は、「悟り」状態になる上で、とても大切な感覚になるのです。


では、アジア圏と英語圏の悟りの意識の違いについて説明しましょう。

「悟りの概念」

アジア圏

「素直に学び、正直に教える状態」「広い視野で重要なものが浮かび上がってくる傍観者」「神と人をつなぐ領域」「全ての感情を包み込んだ状態」

英語圏
「全てを熟知している状態」「ピンポイントで重要なものがわかる探求者」「神の領域」「荒れた感情を離れた状態」


アジア圏の多くは、瞑想を常に平常心を保つために行うものでもありません。変化の波を受け入れ、己の感情すら据え置いて、気の流れに身を委ねるという感覚に近いです。

瞑想を進める人々の中に「未知にある宇宙の光」と繋がるための瞑想を勧める人たちがいます。

これは、宇宙に広がる、膨大なエネルギーとも言えます。つまり彼彼女らの瞑想は、自らを、エジプトのピラミッドのような宇宙のアンテナに仕立て上げることに似ています。

アジア圏ではエネルギーと率先して繋がろうとするのではなく、「今の周りに流れる自分に合った光」と繋がる瞑想意識をヨガや武術面において進めています。

空を漂う竜のごとく、風を読み、エネルギーの波に乗り、気持ちよく空を泳いでいるような感覚に近いです。

どちらの瞑想が正しい方法なのかが重要ではなく、皆さんが時と場合に応じて、自分の体の状態に合わせて賢く使いこなして欲しいとここでは推進します。

posted by ユーリー at 11:26 | Comment(0) | 日記
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